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メレアグロス(、ラテン文字転記:Meleagros、、?- 紀元前323年)は、アレクサンドロス3世に仕えたマケドニアの将軍である。 == アレクサンドロスの下で == メレアグロスはネオプトレモスの子である。アレクサンドロスのトラキア遠征におけるゲタイ人との戦い(紀元前335年)でメレアグロスは最初に言及された〔アッリアノス, I. 4〕。翌年からはじまったアレクサンドロスの東征において、メレアグロスはファランクスの一隊を指揮し、グラニコス川の戦い〔ibid, I. 14〕、イッソスの戦い〔ibid, II. 8〕、そしてガウガメラの戦い〔ibid, III. 11〕といった主要な会戦ではその地位で戦った。 紀元前333年夏に彼はコイノスとプトレマイオス(:en:Ptolemy (son of Seleucus))と共に、新婚であったために本国への一時帰還を許されてカディアからマケドニアへ送られた兵士の指揮を命じられ、その兵士たちと共に一時帰国した後、ゴルディオンにて再びアレクサンドロスの遠征軍に再編入された〔ibid, I. 24, 29〕。 アレクサンドロスのソグディアナ侵攻時にはコイノスと共に、マッサゲタイ侵攻時にはポリュペルコン、アッタロス、ゴルギアスらと共に、マケドニア軍に抵抗を続けていたスピタメネスに備えてメレアグロスはバクトラに残留した〔ibid, IV. 16, 17〕。インドでは、ゴルギアス、クレイトスらと共にペルディッカス指揮下でペウケラオティス(現チャルサッダ)の地方へと分遣された〔ibid, IV. 22〕。また、メレアグロスはしばしばペルシア門の戦いや、ヒュダスペス河畔の戦いをはじめとするインドでの他の作戦でクラテロスの指揮下別働隊として戦った〔ibid, III. 18; V. 12〕。 しかしこうした働きにもかかわらず、アレクサンドロスが彼をより上かあるいは信頼ある地位へ昇進させた形跡はなく、彼が重要な独立指揮権を持って戦うのは見うけられない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メレアグロス (将軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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